毎日していること。
今やっていること。
すべての行い=『カルマकर्म(行い)』を、Yogaにする。
自分の態度が変わる事で、普段の行いのすべてがYogaになる。
やっていることに変わりはない。
やるべき事にも変わりはない。
どういう態度でするのか?
態度が変わるのだ。
この態度の変化が『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』と呼ばれる。
では、どんな風に変えるのか?
それは、『カルマकर्म(行い)』に対する2つの側面の態度を変えること。

1つは、世界に対して、自分が放つ行いに対する態度。

私たちには、みんなそれぞれ毎日しなければならないことはある。
それはどんなことでも、世界を巡らせる法則と秩序によって自分の元に運ばれている。
自分に与えられている課題は、自分によって為されなければならないこと。
この事実を理解して、やるべき事から逃げることも、誰かに投げることも、誰かの役割を奪ったりすることもしない。
私たちは、
「自分が一番大変な思いをしている!」とか
「なぜ自分だけが、こんなことをせねばなるまい?」とか、思いがちだ。
しなければならないことに対しては、いろいろな思いがつきまとう。
しかし、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度とは
この「なんで自分だけが・・・」
とかいう、ムニュムニュでてくる不平不満を言わずに、自分の前に来た事は潔く受け入れること。
爽やかにしなければならないことをしよう!とすること。
やるべきことから逃げず、かといってガツガツ追い掛けもせずに、
「自分に与えられていることだからするのだよ、」
という淡々とした態度で受け止めて、しっかりとこなす。
自分の主観をのせずに、ただひたすらやり通す。
自分によって、為されなければならないことだから、やる。
不安や不満を満たすために行いをするんじゃない。
内側から湧きおこるプレッシャーや貪欲な気持ちに動かされ、押し出されるように行いをするのではない。
今、やらなければならないことだから、世界に求められていることだから、するのだ。
サラサラと世界から突きつけられた課題を受け止めて、こなしていく。
こんな風に自分に突きつけられた課題、やるべき事を受け止められる態度が
客観的な『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度なのだ。
そして行いをするということは、課題を与えてきた世界に行いを放つだけ。
もっといえば、捧げるだけ。
自分の「こうしたい、ああしたいよぉぉぉ~」という不満げな意図を孕まずに、さっぱりとやるべきことをする。
それが、行いをすることに対する『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の態度。
『バガヴァッドギーター』では、行いに対する態度のことがYogaの大事な側面であるといわれる。
「योग: कर्मसु कौशलम् ヨーガ カルマス カウシャラン」
Yogaとは行いをこの世界の法則と秩序に捧げる事である。
『バガヴァッドギーター』2章50

そして、自分が放った『カルマकर्म(行い)』には、必ず相応の結果がやってくる。
この結果に対しても抵抗しないこと。
あれこれいい訳をしない。
ただ、受け止める。
結果として何が起ころうと、否定せず、抗わず、有頂天にならず、自分を中心に起こっている、あるがままを受け止めてみる。
世界から与えられる結果は、自分の意志では何もすることができない。
純粋に自分がしたことに対する結果でしかない。
変えることも、キャンセルすることもできない。
自分のした行いが、世界の100%平等な法則を通って返されてきたものが、“結果”なのだ。
それにいちいち意見したり、逆らわない。
どんな結果も世界が完全な秩序の元に返してきている。だから結果にこだわらない。
受け入れて、受け流す。
そして、次の課題に向き合う。
明るく、強く、でも自責や後悔を作らずに前へ進む。
これが行いの結果を受け止めることに関する『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』。
結果として何がもたらされても、心を揺らさずに受け止めることができる。
この態度は『バガヴァッドギーター』でも、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』のもう一つの大事な側面として記される。

「समत्वमं योग उच्यते स्サマットヴァン ヨーガ ウッチャテ」
「『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の最も大事なポイントは、何が行いの結果としてもたらされても多かれ少なかれ、大体同じ様な客観的な態度で受け止めることである。」
                  『バガヴァッドギーター』2章48

『カルマकर्म(行い)』をYogaにするということは、
“自分がする行いに対する態度”

“放った行いの結果に対する態度”
この2つの側面からみた態度を変えるという事。
それが『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』なのだ。

行いと結果に対するこの態度は、私たちを苦悩の中心から解放する。
なぜなら、苦悩の中身は、
“後悔、自責、期待はずれからの落胆、悲しみ、怒り”など、
自分の“行い”とその“結果”に対することがほとんどだからだ。
行いとその結果に対する客観的な態度でいることは、行いの結果に対して「失敗や成功」というレッテルをはって、イタタマれない思いをもったり、自分や他人や状況を責めることから自由になるということ。
「どうして自分だけ、こんなに大変ばかり起こっているんだ?!」と
悲劇のヒーローになったり、他人を羨んだりすることから自由になるということだ。
皆が「自分だけが一番大変、大変な思いをしている・・・」と、考えがちだが、それは違う。
皆同じ様に、行いと結果の『カルマの法則(行いの法則)』に繋がれ、
それぞれ各自が自分に課された問題と向き合い、越えなければならない課題に取り組むようにして生きている。
特別な人などだれもいない。
だから他人を羨んだり、嫉妬したりは意味がない。
行いに対すること、結果に対すること
2つの側面からの自由を、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』は『ドリシュタ・パラदृष्टफल(目に見える結果)』としてもたらしてくれる。
こんな風に心の持ち方を変えることで、私たちは日々の行いをYogaにすることができる。
Yogaによって、自分の願望をたっぷりのせてみている主観的な世界観を、客観的で冷静なものにする。
その心の在り方、ありのままをありのままに受け止められる広い心を準備することが、いわゆる“心の浄化”でもある。
そのことをYogaでは『アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)』と呼んでいる。

心の浄化とは、自分の中からいろんな不満や怒り、嫉妬や不安などの違和感を失くすこと。

後悔や怒りや葛藤から自由になること。
『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』という主観的なこだわりに目を眩まされたり、翻弄され流されたりしないこと。
本来のYogaの目的、いやもっといえば生きる目的は、
無条件の自由!
半端ない絶対的な幸せ!
それは、自分自身のことなのだ!
と理解すること。
そして自分自身を受けいれ、寛いでいること。
この目的のための、間違いのない手段とは、まず心の小さなグチャグチャした悩みから解放されることだ。
その原因である『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』に振り回されず、余裕でいられること。
そのために日々の行いと結果に対する態度を改めるのだ。
Yogaにおける高い志を、『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』という思いの影響によって諦めたり、投げ出したりしてしまわないようにする。
恐れや、小ささ、不満を、外の物を得ることや、何かにすがることで解消することはできないと知ること。
自分を捕えている物や思いから成長する。そのためには、客観的な態度を養っていく必要がある。
そうして『ラーガドウェーシャरागद्वेष(好き・嫌い)』からある程度自由、自分の心の不満に対して余裕ができてきた心に、本当の自分自身を理解するスペース、ゆとりができてくる。
その自分自身とは、手に入れられる物や獲得できる物なんかよりも、ずっとずっと大きい存在なのだ。
大きく広い心を持つこと。
成熟した考えと、物事に対してはさっぱりとした態度をとれるゆとりある心を準備することが、、
『アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)』の意味なのだ。

『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』は『アンタッカラナ・シュッディअन्त:करण शुद्धि(心の浄化)』をしながら
ブレない生き方をする。
変えることができない世界に対して、無駄なチャレンジを試みない。
同時に、変えることができることについては、全力で努力して強い意志の力で変えていく。
行いの結果は世界に任せ、できる努力をすべてだして、世界に行いを放つだけだ。
だから、失敗も成功もない。
大きな世界の巡りと、因果に任せて、その都度自分の元に世界から贈られた課題をこなしていけばいいだけ。
淡々と。しかし着実に。
そうやって肩の力を抜きながら、やるべきことをしっかりやることが、生き方のYogaなのだ。
それによって、私たちは自分の中心に巣食う苦悩から自由になる。
心に充分なスペースとゆとりをつくることができる。
客観的に物事をみて無駄な事をしなくなる。
世界に戦いを挑まない。
挑むのは、自分の意志と行いで変えていけることだけ。
なんて、Yogaは無駄がなくスマートなのだろう!?
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↑月食の前日の夜は、オイルランプを灯して過ごします。 ランゴーリの上に置かれたランプがきれいですな^^
昨日(12月10日)は、月食でしたね。
インド時間では18:15-21:47
影が光を覆う時間”
月食や日食は、インドでは特別な注意を払ってすごさなければならない時間とされます。うっかりお外をウロウロして、月食見物などしないのです。
どちらかというと、“不吉”とされているこの間は、お寺も食堂も、アシュラムのパブリックに開かれている場所はピッチリと締まります。
影の影響を受けないように・・
なるべく部屋からでず、月食の前にシャワーを浴び

「जप ジャパ(マントラ瞑想)」
をします。
月食が終わったら、もう一度シャワーを浴びます。
この日は朝からフルーツとミルクのといった半断食で、体に負担をかけないように過ごします。
パワー、マネーなど、いわゆるマテリアルな追求をする人には“不吉”とされる月食ですが、
スピリチュアルな探求には最適といわれます。
なぜなら、月食の時間は、自分の内なる探求である精神修行を加速させる特別力を得ることができると言われているからです。
なので、Yogaをしている人や、スピリチュアルな探求を志す人は、月食時間中には、「जप ジャパ(マントラ瞑想)」をします。
「जप ジャパ(マントラ瞑想)」は、最も月食の力を効果的に、形にしやすい方法とされているのです。
月食は私たちYogaをする人間にとっては、またとない飛躍のチャンス!
私も昨日はひたすら「जप ジャパ(マントラ瞑想)」をしました。
この「जप ジャパ(マントラ瞑想)」は、インドのスピリシュアル界?では最もスタンダードな瞑想方法。
誰でも安全にでき、効果を得ることができる優れた方法とされています。
「जप ジャパ(マントラ瞑想)」についてもまた、いつかじっくりお話しいたします!
簡単にいえば「マントラमन्त्र」を使う瞑想法ですが
この「マントラमन्त्र」は祝福された日に1つ選び、
“これからこの「マントラमन्त्र」でしっかり瞑想しよう!”
と誓いを立てることで、自分だけの瞑想の道具、心を扱っていく一生の道具にすることができます。
そして「マントラमन्त्र」を選び、誓いを立てるのに最適な祝福された日が、
「シヴァशिव」の日。
来年2月20日に、その「シヴァशिव」の日がやってきます!

その日わたくしは日本に一時帰国いたしますので、マントラを選び、一緒に「जप ジャパ(マントラ瞑想)」を本格的に始めましょう!
ではまた~
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お寺の境内の階段にも1つ1つランプが灯されています。
こんな風にアシュラム中がすべてランプで灯られた、幻想的な夜でした。

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