「ブラフマンब्रह्मन्」じゃなくても、いいじゃない?⑦

Yogaのゴールと「ブラフマンब्रह्मन्」の関係やいかに??

も~う、ずっと難しいことばっかいって、ごめんなさいねぇ。
結局何がいいたいか、というと、
私たちは、もうそのままで“完ぺき”だ!
といこと。
それぞれが、自由、幸せ、を探しているかもしれない。
しかし、『ヴェーダーンタ(ヴェーダ聖典の最終章)』にいわせれば、もうすでに私たちは探している自由・幸せその
ものであるという。
究極の存在、「ブラフマンब्रह्मन्」そのものなのだ!
ということ。

ただ、それだけ伝えたかったのです・・・
自分自身とは、「ブラフマンब्रह्मन्」という言葉を指し示す3つの言葉の意味、
「サッティヤン・ニャーナン・アナンタンसत्यं-ञ्जानम्- अनन्तम्(存在・知・限りなく満ちるもの)」
=「サット・チット・アーナンダसत् चित् आनन्द(存在、知、限りなく満ちるもの)」
それが「アートマーआत्म(人、生き物の真実)」の意味そのものだということ。

根拠?
根拠はいくらでも。
それは私たちの自然何思いや欲求の中に横たわっている。
たとえば、

「ブラフマンब्रह्मन्」である理由①
私=「サットसत्(存在・真実)」

だから、私たちは “自分が終わる、とか、自分が無くなる”ということに耐えられない。
“自分に意味がない”、なんて信じたくもない。 
∴ 自然の欲求として、誰もがビッグ&フェイマスな奴になりたい。

「ブラフマンब्रह्मन्」である理由②
私=「チットचित्(知の源)」

だから、
“知らないということ、無知である”ということに我慢ならない。
いつもいろいろなことを知っていたい。
子供のころから誰に教えられなくても、「なぜ?なぜ?なぜ?」と問わずにはいられないのは、
いろんな事に対して、理由を知りたい「知・認識の源」である私たちのごく自然の欲求であるから。
「ブラフマンब्रह्मन्」である理由③
私=「アーナンダआनन्द(満ちていること、幸福の意味)」

だから、
“幸せじゃないこと、自分自身の本当の姿ではない事=苦悩”から解放されたいと、あたりまえに思う。
あたりまえすぎて、もう気づくことすら忘れていた。
苦悩に違和感を感じるには、理由があるのだ。
自由になりたいというのは、だれもがもつ自然の欲求なのだ。
なぜなら、私たちは「ブラフマンब्रह्मन्」だから。
だから、「ブラフマンब्रह्मन्」じゃないことが、嫌で嫌で仕方ない!

自分自身が「ブラフマンब्रह्मन्」だからこそ、これらの欲求はとても自然だ。
何もわざわざ考えなくても、あたりまえのように、いつも私たちはただ自分自身の本質を求めている。
Yogaの探求はとてもストレートだ。
ただここだけを目指している。
まっすぐに、自分自身の本質へ繋がる道が敷かれている。
そして、いつも「幸せ」である自分に喜ぶことを目指す。
「自由」である意味を体現する自分であることを望んでいる。
苦悩なく、悩みなく。
様々な役割を演じ、日々ドラマティックな出来事の中に在りながら、
Yogaをする私たちは本当の「自由」の意味を知り、世界を楽しんで笑い飛ばそうとしている。
難しい顔をして「アートマーआत्म(人、生き物の真実)」になる必要も、
腕まくりして「ブラフマンब्रह्मन्」をしゃかりきに目指す必要もない。
ただ自分自身の真実を理解して、納得すること。そこに寛ぐこと。
それがYogaのゴールであるという。
聖典のいう全生物の共通のゴール、「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」は、究極のリラクゼーションなのだ。
だから、
事実をわかっている人は、悲しい状況の中にいても、苦しい最中にいても、どっかで笑っていられる。
そんな大きなゆとりを持って、生きることができるのだ
我々が「モークシャमोक्ष(悟り・自由)」の前に、Yogaで目指しているのは、まさにその人間的な大きさ。
受け入れ、楽しめる広い内なるスペース。心の成熟。
ゆとりと寛ぎ。
『アーサナआसन(姿勢、Yogaのポーズ)』から始まるYogaの練習の1つ1つが、ここを最終のゴールとしてすべて
繋がっている。
限りない幸せと自由、という1つの方向に確実に向かう道となっている。
だから、そんなに深刻な顔しないで。
Yogaを楽しめばいいんじゃないかなぁ~
ヽ(´▽`)/  ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙  ヽ(´▽`)/
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10月5日は“サラスヴァティ・プージャ”という知の女神のご加護を受ける特別な日でした。
「サラスヴァティーसरस्वती(知の法則の象徴)」とは、日本では弁天様として紹介されています。
大黒さんやえびすさんたちと一緒に縁起のいい船に乗ってる紅一点の弁天様。
オリジナルは、「サラスヴァティーसरस्वती(知の法則の象徴)」。
実は、世界のすべての知を治める大変な力の象徴なのです。
私は、インドの「アシュラムआश्रम (Yoga道場、お寺)」で勉強している学生なので、この日
は“なんとか知にあやかろう!”と朝から大忙しで祈りに祈りました。
まずは、1日目。
自分が今後一年読み切ろう!マスターしよう!と目論んでいる本を包んで、
「サラスヴァティーसरस्वती(知の法則の象徴)」のためにつくった特別の祭壇に置きます。
そこで朝『プージャ(儀式)』が行われ、その日1日は祈りを捧げている本は開いてはいけない。
次の朝まで手に触れてもいけない。(効力がおちるから)
というわけで、この日だけは、“勉強してはいけない日”
になるのです。
本を読んだり、何か新しい事を始めるなんてもっての他。
丸1日“勉強してはいけない戒”を守ります。インドでは唯一この日だけ、
子供たちが「勉強しちゃだめよ!」といわれる、不思議な日。
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こんな風に、祭壇に本が積まれます。
で、2日目。
祈りの1日が終わった翌日は、すべての始まりに最も吉兆といわれる日。
新しい勉強、研究、祈り、修行はこの日にスタートします。
朝〆の『プージャ(儀式)』をした後、祈りをささげた本も先生から手渡しで返してもらいます。
と、同時に新しい次の勉強課題の本とテーマもいただきます。
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先生から本を渡されるわたくし。
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』と、
『バガヴァッドギーター』の特別解説版を頂きました。今年1年この2冊に専心いたしまする・・
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「サラスヴァティーसरस्वती(知の法則の象徴)」様、どうか今年もよろしく・・

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