From悩み⇒To悟り Yoga的可能性⑧
2011年7月13日
From悩み ⇒To悟り Yoga的可能性⑥<Yoga的解決>
2011年7月14日
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<悩める自分の特権を生かして、今できること>
Yogaの道を歩む我々にとって、何よりも意志と努力によって養わなければならない大事なことがある。
それは、

“ありのままの物事に対する客観的な理解と態度
”である。
Yogaの経典『YogaSutra(ヨーガスートラ)』には、
『ヨーギーयोगी(ヨガをする人)』の目指すべき境地は、『サマーディसमाधि(心の静寂)』であると書いてある。
それは、“無になることでも、心の止滅、”でもない。
その謂は、
外の物事や人々、状況に振り回されず、自分自身の本質である心の静寂に寛いでいること”
である。
何があっても、揺れない。ぶれない。
それは、物事を客観的にとらえられる理解と態度に立脚して、始めて可能になる。
悩める私は、素晴らしい能力と感受性をもっているのだが、
数々の問題は、
“高い自意識を持った状態で、
主観的に物事をみていること”
から発生している。
自意識は能力だ。
感受性もYogaにとっては不可欠である。
しかし、この自意識をもって、
自分だけの世界観、物事の見方を、
ありのままの外の出来事や人々に投影することが、
自分特有の“問題や悩み”を創りだしているのだ。
私たちはいつも
“客観的に、ありのままの世界をみている”とは限らない。
物も、
人も、
景色も、
主観的にとらえがちだ。
Yogaでは、いかに、世界の出来事や物事に対して、自分と関わる人々に関して
“客観的な理解”と“態度”を身につけていることができるか、を重要視する。
なぜなら、
その客観的な姿勢と態度が、自分自身の真実、世界の真実をありのままに理解する心を準備し、まっすぐな知性を養い、それらが理解の基盤となるからだ。
客観性は、自分特有の歪んだ物の見方を正す。
主観が、単なる出来事を“問題”と変質させ
“問題”が、“苦しみや悲しみ”という形で私たちを悩ませている。
おそらく、自分がありのままをみる態度を身につけたとしても、
周囲に起こる出来事や、関わる人は変わらないだろう。
変わるのは、
悩みの中心にいた、
苦しみの核となっていた“私”なのだ。
出来事を、“苦しみや悲しみ”ととらえて悲劇のヒロインになっていた自分が変わる。
その自分は、ありのままの世界を、素直にありのままに映す歪みない鏡のような知性で、世界をみる。
そこに、“悩み”は起こらない。
あるのは、ただの純粋な出来事や人々なのだから。
世界を歪めて、自分のことを勘違いで見なくなった時、
ありのままをいつも自然に見ることができるようになったとき、
私たちは、すべてを明快な事実として理解できるようになる。
そうやって、自分の真の姿を掴んだ自分は、無敵だ。
なぜなら、この世界には初めから敵などいない、ことを知るから。
“恐れ、不安”がない、というのは、この敵がない“無敵状態”のことをいう。
それが、自由。
それこそが、Yoga的悟りだ。
『モクシャ(悟り・自由)』で得られる結果
『プラヨージャナप्रयोजन(結果、メリット)』はここにある。
どこにいても、
何をしても、
自分を苦しめる物はなにもない。
自分自身でいるだけで、満ちている。
たとえ
悟ったとしても、自由になったとしても、
この肉体が痛むことはある。
目から涙をこぼれさせる出来事もあるだろう。
やがて老い、力が無くなり、今までできていたことは、いつかできなくなる日もくる。
不自由なこともあるだろう。
肉体が自然界に戻っていく日も、勿論そのうちやってくる。
それでも、
「私は苦しい。
私は悲しい。
私は苦悩する者だ」
という勘違いから起こる悲劇はない。
もはや、こんなことは悟った人の目から見れば、喜劇なのかもしれないが。。。
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Before 
Cimg0549
これは1年まえの写真
After
Cimg1360
そしてこれが現在の写真
どうです?
なにか変ってますか?
私としては、内面の人間的激成長を目指して頑張ったのですが、
こうしてみると、あんまり変わってないですね。
なに?髪型がやばい?
う、うう、うん。。。
わかってるさ。
でも今は、その言葉は聞かなかったことにしておこう。

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