あるとき、先生は講義の中でこんな話をしてくれました。

 

“満ちているということ、満たされるということ”

の意味が良く解るお話しです。

 

*****

 

あるインドの村に、3人の息子がいる家族が住んでいました。

とても裕福な家庭で、御父さんは財産を管理することが大変でした。

財産管理の手伝いを一番下の兄弟に頼み、父と一番下の息子2人で財産管理をしていました。とても上手くいっていたのですが、自分に財産管理の責任をまかされなかった一番上と二番目の兄は不満に思っていました。

 

ある時、このお父さんが病気になり、いつ体を手放してもおかしくないという状態になってしまいました。御父さんはすべての財産管理を一番下の弟に頼もうと思っていました。

しかし、兄2人は日頃の不満を御父さんに語り、それはとても不公平であること、財産は自分たちも管理する権利があるといったのです。

 

御父さんは、いいました。

「よろしい。お前たちの不満はわかった。

それでは、だれが財産を管理するに相応しいか、冷静に客観的に決めようじゃないか。

明日弁護士と会計士、3人の冷静に判断できる人々をよぼう。そうして、管理する者を平等に決めよう。それでいいな?」

 

2人も弟も御父さんの提案に賛成しました。

 

次の日3人の判定人がやってきました。

家や財産をみて、3人の兄弟と話した後、こういう基準できめようということになりました。

 

「みなさんに1週間の期間を与えましょう。あした、3つの小さな簡易式の家を皆さんにそれぞれ用意します。

どうか、1週間後その家を“満たして”みてください。

いちばん豊かに満たすことのできた人、その人がこの家の財産を管理し、満たすに相応しい人でしょう。そうですね?

それでいいですね?

公平に全員できめましょう。では、明日家を見に来てください。

それでは1週間後に、ごきげんよう。」

 

次の日、3つの小さな家が建てられ、3人の兄弟は別々に1週間そこに住むことになりました。

 

だれが家を満たすことができるのか?

 

それが判断の基準です。

 

そして1週間後、

全員が集まりました。

 

「みなさん、それぞれ空の家を満たすことができましたか?

とても楽しみですね。早速、一番上のお兄様の家からみてゆきましょう。

 

そうして全員で一番上の兄の家に行きました。

 

兄は自信満々でした。1週間前から家をシッカリ満たすために、トラックに5トンもの藁を用意していたのです。ぬかりはありませんでした。そして昨日どこにも隙間がないほど、家に藁をギュッと敷きつめておいたのでした。

 

「俺が一番満たしているにちがいないぜ。」

 

そう兄は言いました。

 

みんなが家に着くと、窓やドアからも溢れんばかりの藁が見えました。

 

判定人の1人がいいました。

 

「おお、これはこれは、なにやら溢れかえっているようですね~。

さて我々、家にはいれるのでしょうか?」

 

そういってドアを開けると、ドアから藁がいっきに雪崩れてきました。

 

兄は大満足でした。

 

「どうです?溢れんばかりに満ちているでしょう?

わたしが、財産を管理すれば、こんな風に溢れんばかりに満たすことができるにちがいありませんよ。」

 

判定人と父は無言のまま、頭から浴びた藁を払いました。

 

「解りました、確かに満ちていてパンパンですね。

ありがとうございます。

それでは、次に2番目のお兄様の家に行ってみましょう。」

 

そういって、みんなで2番目の兄の家に向かいました。

 

2番目の兄は、一番上の兄以上に自信満々でした。

 

なぜなら1週間前から、重たいしっかりしたレンガを3トンもトラックに用意していたのです。そうして3日かけて家じゅうにレンガを敷き詰め、何処にも隙がないほどに満たしたのです。

 

「まあみなさん、満ちている家というものをみてくださいよ。」

 

2番目の兄が家のドアを開けると、人が入るすきもないほどのレンガがびっちりと敷きつめられていたのです。

 

 

「一体、どうやって家にはいるのです?」

判断人の1人が聞くと、

 

2番目の兄は答えました。

 

「どうやってはいる?何をいっているのです?

他人や外からの侵入者が入れない程に、満たしているのです。入れるはずがないでしょう?

私が財産を管理すれば、こんな風に満たしながら、外からの攻撃を守ることができますよ。」

 

父も判断人も無言でした。

 

「はははは・・    

・・さあてと。

それでは最後の弟さんの家にいってみましょうか?」

 

そう言って末の弟の家に行きました。

 

家のドアは開け放たれていました。ドアの前には、お客さんを歓迎する「ランゴーリ」という祝福の模様が丁寧に描かれ、小さな花が溢れる植木が玄関においてありました。

 

中から良い香りのお香と美味しそうな食べ物の香りがふんわり漂っていました。

 

全員が家に着くと、中から子供が2人飛び出してきました。

そしてにっこり笑ってこういいました。

 

「いらっしゃいませ。お客様。どうぞお入りください。」

 

皆が自然に笑顔になりました。そして家にはいりました。

 

家に入るとオイルがたっぷりはいったランプに火が灯され、

シンプルだけれどきちんと整えられた祭壇があり、

沢山の花とお香とフルーツや供物が捧げられていました。

 

「おおこれは、素敵ですね。」

 

誰かがそう言うと、キッチンから奥さんが出てきました。

 

「みなさんようこそ。お待ちしていましたよ。

今、ご飯ができあがったところです。

あつあつをたっぷり召し上がってくださいね。」

 

そういって子供と奥さんは全員にできたての暖かい食事を運び、皆がそれを食べました。

暖かいスープと焚きたてのご飯、心のこもった丁寧に作られたおかずに皆お腹がたっぷり満たされるまで食べました。

 

「ああ、なんておいしいのでしょう。」

 

食べ終わると、暖かいお茶が運ばれ、甘いお菓子と共に素敵な音楽が流れてきました。

そして2人の子供が楽しそうにお話しをしました。

 

「なんて満ちているのでしょう。

ここにいると、心がゆったりと寛ぎ、とても幸せに満たされている感覚がします。」

そう判断人の1人が言いました。

 

全員が笑顔でうなずきました。

 

父は目を細めて、膝の上にすわっていた孫の頭をなでながらいいました。

 

「満たされること、満ちていること。その意味は、物でいっぱいにすることじゃない。

 

心がどれだけ豊かにみちているか、ということだな。

こんな風に、心から満ちて寛ぐことができる家が、本当の家であり、本当に皆がのぞむ生活じゃないかな?

これでだれが家の財産を管理するに相応しいかわかったな。」

 

そう言って判断人は全員一致でうなずきました。

 

 

ただ、2人の兄だけは、

「あぁん? 俺達あんなに満たしたのになぜだ?

こんな空間ばっかり、隙だらけの家にしているあいつのほうが、なんで相応しいんだ?」

 

そういって不服そうでした。

 

2人はまだわかっていなかったのです。

満ちるという意味を。

満たされているという事を。

 

父はそのことを初めから見抜いていたのでした。

 

 

そうして、父がこの世を去った後も、一番末の弟が財産を管理し、一族は豊かな生活を続けることができたと言います。

 

 

満ちていること。

満たされること。

 

心は物では満たされません。

財産でも、才能でも、資格でも、能力でも、心は満たされません。

物やお金はいくらもっていても、不安はつきまといます。

 

失う事をおそれ、他人と比べて足りないことを不満に思います。

 

満足できていないから、それ以上のものが欲しい、さらに欲しいという、欲望も尽きることがありません。

 

自分を安心にしてくれそうなモノ、

一見満足を与えてくれそうな外のものをいくら持っても、心は本当にみたされることがないのです。

 

 

何が自分を満たすのか? 

 

それを見極めることが豊かさの鍵なのです。

 

自分に落ち着いていること、穏やかであること、

今あるものに満足すること。

 

すべてが与えられ、巡っていることを知ること。

 

全体と繋がり、

そこに寛いでいることができる。

 

それがYogaの生き方そのものです。

 

満ちること、

満たされていることを知ることがYogaで求めること。

 

 

その意味を知るお話しでした。

 

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