From悩み⇒To悟り Yoga的可能性③ <悟りとは?   『ヴェーダ(聖典)』のヴィジョン>

From悩み⇒To 悟り Yoga的可能性④
2011年7月14日
From悩み⇒To悟り Yoga的可能性②
2011年7月14日
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<悟りとは?『ヴェーダ(聖典)』のヴィジョン>
Yogaでは、
悟りのことを『モクシャ(悟り・自由)』という。
それは、苦悩や悲しみから自由になるということを意味している。
そして、この世界で生きる人間はだれしも、
『モクシャ(悟り・自由)』を目指すために特別デザインされた体や考えを備えている。
大きな可能性を秘めた“自由意志”を持って、
今も、世界の秩序と法に参加しながら生きている。
人として生きる事は、ただ与えられたものを消費するだけの、
“消費者”ではなく、
積極的に世界の動きに意志を持って参加する、
“貢献者”  である。
積極的に世界にはいりこみ、他人や出来事と関わり、
沢山悩み、様々な経験を通して学ぶことで、
私たちはこの世界をつくっている大きな流れの一部に参加し、流れを変える事すらできる。
そんな風に世界と積極的に関わっている自分は、
けして孤独ではない。
世界から孤立し、離れている、
と感じて、孤独感を覚える事もあるけれど、
実際は、私たちは世界から、1ミリも、1秒も離れていることはない。
「自分は世界といつも共にある。
むしろ、
世界そのものである。」
これが、Yogaの聖典『ヴェーダーンタ(ヴェーダ聖典の最終章)』、
またの名を『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』がいう教えである。
聖典の言葉では、
『タット・トヴァン・アシतत् त्वन् असि
(You are the Whole,あなたの本質とは全体である)』

という。
これが教えのエッセンスをすべて含む、最終的なセンテンスである。
私たちは、世界のダイナミックな動きに参加しながら、新しい流れも作り出せる。
常に、この全体の世界の動きの中に在る。
その事実を知ることが、
私たちを悩ませる原因
“恐れ”や“不安”
という妄想から人を自由にするという。
「世界から離れている」
という思いが“不安”を作る。
不安を埋めるために、私たちは何かを求め、自分に何かをつけたそうとしている。
それは、地位かもしれないし、名声かもしれない。
しかし、そこをどんなに追求しても“限り”があり、不安は解消されない、と経典はいう。
外の物をいくら求めても、私たちの中心に居座る不安は癒されることはない。
なぜなら、中心が不安でいっぱいなのだから。
「世界とは、自分とは違う別の存在である。」
その思いが、私たちに“恐れ”を抱かせる。
“恐れる”私たちは、いつも自分を世界から守ろうとしている。
権力や財産や、持ち物や資格や仕事が、私たちを守れる、と思って、それらの追求に明け暮れる。
この探求も限界がある。
それらを手に入れることは、何も悪いことではないのだが、
自分の根源にある、“不安や恐れ”は、外の物をいくら手に入れてもなくならないのだ。
物質は、一時的に“埋めあわせをする物”でしかない。
なぜなら、心の奥底にある“不安と恐れ”は、
「自分は、世界から離れ、孤独である。
とても小さく、とるに足らない自分が、たった一人で世界に対峙している。」
という自分に対する結論が生みだしているからだ。
故に、この根にある“結論”が変わらない限り、
自分に対する“認識”が大きなヴィジョンに変わらない限り、
小さな自分の不安と恐れが無くなることはない。
しかも、私たちは、自分が自分に結論づけしている“小さい自分”という認識が間違いであるかどうかもわかっていない。
自分の真実がよくわかっていない。
この“自分がよくわからない”という無知が、より一層の混乱と、不安と恐れを創りだす。
だから、聖典はいう。
「恐れと不安をもっている、というその結論は、はっきり言って勘違いだ。
“自分自身”の本質とは、不安でも恐れでもない。
世界から離れている、ことなんてできない。
孤独などない。
それらは、あなたを惑わす妄想にすぎない。
真実とは、満ちている、この限りない、1つの全体世界があるということだ。
そして、世界の本質と、あなた自身の本質はただ1つの真実である。
今もあなたが世界として、そこに在り続けているのだ。」
聖典はいう。
“真の自分自身”を、自分の中心が理解しない限り、、
この“不安と恐れ”の原因なくならないと。
なぜなら、
不安の原因であった、「世界から離れている」という思いも
恐れの原因であった、「世界は、自分とは違う。」という考えも、
どちらも“自分の真実を知らない“ことに上乗せした「妄想」
でしかないからだ。
だから、経典は何度でも不安に感じている人にいう。
孤独の中にいる人間にいう。
「本当の自分」とは、この全体世界の本質と何も変わらない。
何も離れていない。
すべてが、1つの普遍で、限りがなく広がっている。
あなたの本質とは、時間にも空間にも制限されることがない世界のベースである。
現れた全体世界である。
世界とは、あなた自身のことである。
ここに現れている世界は、その全体が1つの法と秩序であり、
すべてを含んで、ただ1つの意識的な実体として躍動している。“
その全体世界のことを、聖典は『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』と呼ぶ。
そして、世界に“存在”を与え、遍く広がる真実を
『ブラフマン(究極の知、存在、遍く広がるもの)』
という言葉で語る。
『ブラフマン(究極の知、存在、遍く広がるもの)』は、
すべてを存在させている、“存在の根源”である。
そしてそれは、“意識の根源”でもある。
生物に、「知る、わかる」という認識を与える“意識の源”として在り、
無生物には、「形と名前と機能」という姿で現れる際の、“知の根源”として在る。
『ブラフマン(究極の知、存在、遍く広がるもの)』が、
世界の隅々へ隈なく広がり、満ちている。
そしてこの『ブラフマン(究極の知、存在、遍く広がるもの)』こそが、
私自身の真実、『アートマーआत्म(人、生き物の真実)』である。
これが『ヴェーダ(聖典)』の最終的なヴィジョンだ。
この1つのヴィジョンを教え、語るのが、
『ウパニシャッド(奥義書、ヴェーダ聖典の最終的な教え)』である。
そのメッセージは、
『タット・トヴァン・アシतत् त्वन् असि
(You are the Whole,あなたの本質とは全体である)』
という一文に集約される。
世界である『イーシュヴァラईश्वर(全体世界)』の真実は『ブラフマン(究極の知、存在、遍く広がるもの)』である。
そして、私の事実もまた『ブラフマン(究極の知、存在、遍く広がるもの)』である。
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それにしても、とれたてのココナツは「おいちい、おいちい」
味は、“とぼけたポカリスエット” みたいなのですが、
熱い国で飲む飲み物としては、素晴らしい。
何やらたくさんの酵素がはいっているらしいですよ。
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