【『カルマकर्म(行い)』とは?】
私たちは生きている以上、“行い”をする。
この行いのことを、サンスクリット語では、『カルマकर्म(行い)』という。
経典は、
意志を伴った行い=『カルマकर्म(行い)』
と定義する。
これをしよう!
あれをしよう。
あの件については、やめておこう。。
やるか、やらないか、やるとしたらどうするのか?
こんな風に、意志の元に、自由に選択して決めている“行い”を『カルマकर्म(行い)』という。
しかし、生物には、呼吸や新陳代謝、心臓の鼓動など、意志を伴わない活動があるが、
それは“行い”とはいわないのか?
それに関しては、『カルマकर्म(行い)』ではなく、
『クリヤーक्रिया(動き)』であるという。
・意志を伴わない“動き”=『クリヤーक्रिया(動き)』
・意志によってする“行い”=『カルマकर्म(行い)』

“動き”は100%、自然界の法則に則って、流れるままに動いている。
だから、秩序や法則への逸脱がない。
100%『ダルマधर्म(秩序、守るべきこと)』の行い。
例えば、
心臓が自らの意志で暴動をおこす、ことなどはない。
胃袋や消化機能が、今日から“ベジタリアンになってやる!”、と決意することもない。
体中の脂肪細胞たちが、“明日から貯めない体になろう!”、と決断することも、
まず絶対にない。。
動物も同じように、自然界の生物。
100%自然の法則とプログラムに基づいて動いている。
だから動物には“罪”がない。
しかし、人間は違う。
自由に決断できる意志を備えている。
法を逸脱し、“罪”をつくることもある。
『カルマकर्म(行い)』とは、意志のある者だけが、自由に決められる行いである。
人間には、『カルマकर्म(行い)』ができる特権がある。
そして、“行い”には、必ずそれ相応の、1つ1つ異なった“結果”が伴う。
自由意志で決めている以上、自然の法則に忠実であることと、そうでないことがあるが、
結果も同じように、相応に変化して、行い手に戻ってくる。
『カルマकर्म(行い)』が生みだす結果のことを、
『カルマパランकर्मफ्लन्(行いの結果、行いの実)』という。
“パラン”とは、果実、もしくは実りを意味する。
果実は必ず、
種=原因からもたらされる。
『カルマकर्म(行い)』も同じ。
行いの種をまけば、必ず結果という実を結ぶ。
果実は、絶えず変化し、消化され、脆く、形を失くすものである。
行いの結果も同じだ。
変化し、消費され、失われる。
だから“結果”は、“果実”だ、といわれている。
何かしよう!
そう決めて行いをするこということは、
『カルマकर्म(行い)』という種を、この世界に撒いている、ということだ。
その種からは、必ずいろいろな影響が現れる。
撒かれた種は様々な影響を世界に与え、同時に影響を受けながら、
やがて種を撒いた本人に“結果”という実りをもたらす。
“不作、実りがない”というように見える結果でも、それはそういう“実り”なのだ。
この世界という土壌は、
自分の期待とは違って、甘い実が実らなかったりもする。
撒いた種から現れるはず、と思った結果が手に入らない、それもよくあることだ。
まるで失敗、枯れてしまったようにみえることもある。
しかし、予想されることが手に入らない、期待通りにならない、
そういったこともすべて、“自分が生んだ行いの結果”でしかない。
思い通りの実が実ることもある。
予想に反した果実が実ることもある。
どちらにしても、必ず結果が現れる。
“結果”は、純粋にその人がした行いの質による。
“行いの質”の違いが、結果を変える。
運・不運の明暗を分けている。
成功、幸運、祝福といわれるような結果をもたらす行い、というものがある。
そして、
失敗、不運、といわれる結果をもたらす行い、というものもある。
私たちが今体験していること、直面していることは、間違いなく
過去にしてきた『カルマकर्म(行い)』の質による結果でしかない。
Yogaでは、できるだけ幸運を生みだす行いの種を撒き、不運を招く行いを避けるように、
生き方をより繊細に、注意深くすることを強調する。
“運を自らの意志でつくりだす”
これを毎日の生き方の中で心に留め、実践するように示唆しているのだ。
キーは、世界を維持する法則に沿った行いを常に心がけること。
Yogaでは、私たちが『カルマकर्म(行い)』を通じて
天=『イーシュヴァラ(全体世界)』の法則を、味方につけることを勧め、私たちを導く。
思い通りになるような結果、自分にとって都合のいい結果、
望んでいること、幸運といわれていることは、
徳の高い、良い行いをした結果である。
この種の結果をもたらす『カルマकर्म(行い)』を
『プンニャपुण्य्(徳)』
という。
反対に、都合の良くないこと、不運、痛み苦しみを伴いながら結果を現す『カルマकर्म(行い)』の結果のことを
『パーパपाप(不徳)』
という。
Yogaでは、『パーパपाप(不徳)』を生む行いは避けるように、それが身の為ですよ~、
と私たちに教えているのだ。
では、経典『ヨーガスートラ』の中の例をみてみよう。

***   Yogaの経典『ヨーガスートラ』に記される
   幸運『プンニャपुण्य्(徳)』をつくる行い  *****************
『ニヤマनियम(するべきこと)』

① 『シャウチャशौच(身辺・環境を清潔にして、心も穏やかにしていること)』
② 『サントーシャसन्तोष(満足、を知ること。ガツガツしないこと)』
③ 『タパス तपस्(規律ある生活をすること)』
④ 『ソヴァディヤーヤ स्वाधाय(自分に向き合い、学ぶべきことを学ぶこと)』
⑤ 『イーシュヴァラ・プラニダーナइश्वरप्रणिधाना(自然のルールを知り、敬意を示すこと)』
これら5つの行いは、すべて良い結果を生む行いとされている。
その逆の行いもある。
『ヤマयम(避けるべき行い)』として説明される5つの避けるべき行いは
私たちが自ら不運の境地に陥らないように、日々の生き方、心がけを提示してくれるのだ。

***  Yogaの経典『パーパपाप(不徳)』を生む行いと結果避け、身を守ること ***
『ヤマयम(不運、不幸の原因『パーパपाप(不徳)』を避ける行い)』

① 『アヒンサ अहिंस(生物・植物・他人を傷つけない、迷惑をかけない)』
② 『サッティヤ सत्य(嘘をつかない、自分にも他人にも正直であること)』
③ 『アステヤ अस्तेय(他人・他の生物や植物から盗まない)』
④ 『ブラフマチャルヤ ब्रह्मचर्य (規律ある生活をする、学ぶべきことを学ぶ)』
⑤ 『アパリグラハअपरिग्रह(“自分の所有物”にこだわることや、貪欲な欲望に流されないこと)』

*『プンニャपुण्य्(徳)』と『パーパपाप(不徳)』

これが私たちの成功・幸運と失敗・不運の明暗を分けるファクターだ。
今現れている結果は、100%自分が過去にした行いが原因である。
そして、今私たちがしている行いは、私たちの未来をつくっている。
私たちは、毎日自分で未来の幸運と不運をつくりだしている!
ということになる。
100%自分の意志と努力によって。
Yogaの経典に基づくと、
“幸運・ラッキー”は、意志と努力によって作りだすもの、である。
「ラッキー!」は偶然のようにみえるが、純粋に、意志と努力の結果。
逆に、それ以外の要素はないと、経典はいうのだ。
**************************************
Cimg1258
『ヴェーダ(聖典)』の中でも、最も難しいとされる「サーマヴェーダ」を斉唱するおじさんたち。
すごい迫力です。
内容は、
「苦しみの河を渡り、悲しみの海を越えよ。
その橋は、”与える”ことである。
人に”与えて”大きくなれ。
”与える”で、この橋を渡れるのだ”
というような意味。
わたくしも、惜しみなく”与えられるよう”
頑張ります。

dev
dev