天を味方につけ、運を掴み取る! Yoga的祈り⑥ *「カルマヨガ」とは?


<生き方をYogaにする『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』とは?>

Yoga界ではすっかり有名な『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』
その本来の意味は、
自分の好き勝手に、やりたい放題行いをするのではなく、

結果を考慮して、慎み深く、注意深く行いを選択すること。

を意味する。
そして、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』とは、“無償奉仕やボランティア活動”のことではないことも事実。
『バガヴァッドギーター』2章でも、『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』については、はっきり規定している。

【『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』 *行いをする“態度”を変える】

योग: कर्मशु कौशलम्
Yogaとは、行いを慎重に、思慮深くすること、『ダルマधर्म(秩序、守るべきこと)』に一致させることである。
(2-50)

自分の行いに慎重になること。
心・考えでする行い
言葉での行い、
体を使う行い。
この3つのレベルでする『カルマकर्म(行い)』を、いつも結果を視野にいれて慎重に選ぶ。
具体的には、良心に従った行いをする。
自分に課されたことを、逃げずに行う。
人を助け、誰かの為になり、秩序を維持することへ貢献できる行いをする。
生物を大切にする。困っている人をみたら、助ける。
必要な人には、惜しみなく与える。
全体世界に貢献する思いと態度から、為される“行い”をすること。
そして、生物を傷つけたり、暴力的な言動を意志の力で、どんなことをしても避けること。
人生は些細なこと、小さな決断と行いの連続。
だから、毎日の1つ1つの行いを『ダルマधर्म(秩序、守るべきこと)』に沿うようにすることがとても大事なのだ。
これが『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』の正確な意味。
しかし、やっぱりカルマの法則は複雑で、過去の積み上げたカルマが“結果”へ影響してくる。
たとえ自分が行いを慎重にしても、他人との関わり合いの中から“結果”は生み出されるから、
自分の望みが必ずしも叶うとは限らない。
結果が期待通りになるかならないか、
それはまた別の話。
だから『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』に関しては、もう1つ重要な定義がある。
それは、結果の受け止め方について。

【『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』* 結果を納得して、受け止めること】
समत्वन् योग उच्यते


何が行いの結果としてもたらされても、それは全体世界の法と秩序の元に
自分に贈られてきたものとして受け止めること。
(2-48)

これが『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』のもう一つの側面。
『カルマकर्म(行い)』は、必ず全体世界、『イーシュヴァラ(全体世界)』の法を通って、どんな人にも、行いに対する相応の結果が、平等にもたらされる。
それは、世界から贈られたものだ。
撒かれた種は、世界という土壌が育み、実を熟させる。
それが撒いた人にもたらされる。
“行い”は私の意志の元にある。
どうやって、どういう態度で行うか?
しかし、“結果”はすでに、私の意志を離れている。
世界の法と秩序が決めている。
それに関して私ができることはない。
結果に対して唯一私たちができることは、理解を持って受け止めること。
拒絶したり、逃げたり、逆らったり、
結果が気に入らないからといって、過度なリアクションをとらないこと。
新たな不運を生みだす原因をつくらないこと。
次の“不運”の材料となる、『パーパपाप(不徳)』を慎むこと。
気分よく物事を受け止め、次のに役立てることを私たちは選べる。
ここに、Yogaの力が働くのである。
結果の背景には、必ず自分の行いがあり、それが世界を巡って自分の元に帰ってきている。
その理解がYoga的で注意深く、繊細な行いと、規律に基づいた生き方の核となる。
全体の法を理解するからこそ、心を揺らさず、乱すことなく客観的に物事を受け止められる。
逃げることなく、拒むことなく・・
それが『カルマヨガकर्मयोग(行いのYoga)』
“Yogaを生き方”にしているということ、
“Yogaに生きている”
ということである。
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ピャ~
おしりに注射さてちゃってますよ、わたくし。
しかも結構痛いじゃないですかっ!
痛くないっていったのにっ!
ひどい。
顔は笑ってますが、涙目です。。
しかし、
これでまた、わたくしの『パーパपाप(不徳)』が解消されたわけですね。
ありがとう、ありがとう。

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