私たちは本当は何が欲しいのだろう? Yoga的探求①
私たちは、本当は何が欲しいのだろう?
何を求めているのだろう?
生きていることにおいて。
気がつけば、私たちはいつも何かを手に入れようと、画策しているように思う。
次はあれを手に入れよう! 
どうやって手に入れよう?
そんなことを考えて、心はいつも何かを得るための努力で忙しい。
たとえ望みのものが手に入ったとしても、私たちはすぐに次のターゲットをみつけ、
今度はそれを手にしようとしている。
まるで、何かに駆り立てられているように、モノや場所、理想の状況や、資格、技能を含めた世界のあれこれの間を走り回っている。
次から次へと、私たちの欲求は湧いて、留まることを知らない。
でも一体、私はなにが本当に欲しいのだろう?
何を求めているのだろう?
本当に必要なものが何か分からず、それを手に入れていないから、私たちはいつも次々に対象を変えて何かを獲得しようしている。
何のために?
それを得て、自分を安全にしたいから。
安心と思いたいから。
そして
もっとシンプルにいえば、それを得ることで、私は幸せになりたい。
この2つの思いを満たすためのモノを、手に入れるために夢中になっている。
それはみつかったのか?
それが何かわかったのか?
それが判らないなら、私たちはこの先ずっとモノからモノへと走り続けることになるだろう。
それでも、
ふと立ち止まることがある。
信じていたモノが、あまりにもあっけなく奪われた時。
失われてしまった時。
走り続けることをやめ、考える。
大地が揺れる。
水が大切な物を流していく。
昨日までのあたりまえが、ある日を境にもう手の内から消えてしまった時、
私たちは思う。
あるモノを手に入れれば、自分の幸せや安全が約束されている、と思っていた。
でも手に入れられるモノは、ある日自分の元にやってきたのと同じように、
ある日自分の元から去ってゆく。
儚く消え、移り変わる。
そんなものに、自分の幸せや安全を委ねていたのだろうか?
いや、違う。
違うといいたい。
だけど、
違うとしたら、
本当に私が望んでいることとはなんだろう?
何を得たら満たされ、何をどうすれば安全で、幸せだと心から思えるのだろう?
私は今まで、毎日、何かに押し出されるように生きていた。
自分の意志や思いとは、無関係に現れては消える出来事や、
後戻りのできない時間の流れにのみこまれて、ただもがいていた様な気がする。
何処へ向かっているのだろう?
何が目的なのだろう?
何を求めているのだろう?
そんなことが、よくわからずにいた。
それは、生きている意味がわからない、というのと同じだった。
長い間、どこに行くのかも解らず、流されていたような気がする。
自分の本当の望みと、生きる意味がわからずに。
何が欲しいのかも、はっきりせずに。
だから、多くの人がいいといったものが、その都度欲しくなっていた。
本当は欲しくなかったのかもしれないけれど、必要だと思い込んでいた。
まだ手に入れていない輝きをもったモノ達、
行ったことがない楽しそうな場所。
「これさえ手に入れれば、きっと楽しくなる、幸せになれるに違いない。」
「ここに行きさえすれば、人生がもう少し、いい感じになるかも。」
そんな風に思わせてくれるようなモノや場所や条件。
自分を安全にしてくれそうな仕事や地位、
それを手に入れるための資格、
お金。
きっとそれを手にしたら、自分の在り方に満足するに違いないと思いこんでいた。
外の世界の、
自分を納得させてくれそうな何かをいつも探して、手に入れようとしていた。
でも、
何を手に入れても、私は満足していなかった。
どこにいっても、心から納得することができなかった。
一時は満足したような気持ちになる。
その気持ちは心の極浅いところで感じられた束の間の出来事。
本当に満ち足りていることではなかった。
その証拠に、1つの物を手にしても、すぐに次のモノが欲しくなっていた。
どこかにいっても、また次の場所が自分には必要だと思っていた。
そして、また次を求めて、まだ知れぬ何かを追いかけた。
「これを手にすれば、私の人生はきっと安全、大丈夫!
 絶対幸せ、まちがいなし!」
そんな風に思うモノを、私は次から次に、手に入れた。
だけど、いつまでも心から安心することも、
満足することもできずに、また次のモノを求めて外の世界に飛び出していった。
欲しいモノの、名前と形だけが変わっていく。
それでも、いつも何かを欲しがり、必要だと思い込んでいた中心の自分は変わらなかった。
落ち着かず、渇いた欲求だけが、いつも変わらずにあった。
“私は本当に何が欲しいのだろう?
どうなったら、一体満足するというのか?“
外の追求に疲れる度に、そう思った。
何が欲しくて、何処に辿りつきたいのか?
それがわからなかったら、きっとこのまま次から次へ、モノの間を走り回っているだけで、人生が終わってしまう。
それが解らない限り、自分の渇いた空しい気持ちだけが、きっと後に残るだろう。
だから、知りたかった。
一度立ち止まって、考えなければならないと思った。
向き合わなければいけない。
自分の中の何が渇きを覚え、求めているのか?
自分のどこに納得いかず、探し続けているのか?
それを見極めるために。
いつも飢えて何を求めている、そもそもの問題は何か? 
その“何か”に答えが出ない限り、
その根を見ない限り、
私の人生はぐるぐる走って、廻って終わる。
「あれが欲しいよぅ~、
これを手に入れたいよぅ~
ああ、空しいよぅ~」
といいながら。
そんなの絶対いやだ。
それだけは、絶対にやめにしたかった。
思い切って、手にしたモノを一度おいて考えてみた。
そうして、Yogaにであった。
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最近うまれた子牛。
なんとかわいい。
名前は「ギーター」ちゃん。
『バガヴァッドギーター』からです。
すくすく育って、いい子になぁれ。
そして、私にチャイを恵んでくださいね~

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