「Welcome、ウェルカム!
 さあ、怒りも悲しみも、嫉妬も恐れも、バンバンくるがいい。
全部まとめて受け入れてやる~」
こんなふうに、強気にいってしまおう。
すると、それらの感情が力を失くすのだ。
感情は起こっても、自分が抵抗しないから、感情は“問題”として変質して、自分を縛らない。
自分にしがみついてくる力も失くしてしまう。
恐れに対して、問題に対して
あがかない。
抵抗しない。
思いっきり受け入れようと覚悟する。

それが実質、“問題を手放す”、ことになる。
恐れも
怒りも、
悲しみも、
変わることへの不安も、
嫉妬も、
憎しみも。
ふとした時に、自分の中で芽生えてしまう良からぬ感情たち。
あまり歓迎できない思いたち。
「こんなことに、いちいち嫉妬して憎んで、私はホントにバカじゃなかろか?」
という思い。
「こんな小さなことに、腹をたててるなんて、なんていう了見の狭さだろう?
なんという人間の小ささだろう?」
自分で自分を評価して、ダメだと決断をくだすこと。
厳しく自分をみて、ジャッジし、蔑むこと。
自分でいることに、落ち着いていられないこと。
そんなことも、みんな受け入れてしまう。
思いも感情も、すべては“心理の法則”という“自然の理”に基づいて起こっている。
自然を司る、法則と秩序の中だけに、私たちの思いや感情や考えはある。
自分はまさにその中にいる。
その法と秩序に満ちていて、それ以外の事は何もない。
Yogaの経典は、はじめからいっている。
「この法と秩序こそが、世界そのもの、『イーシュヴァラ(全体世界)』である。
『イーシュヴァラ(全体世界)』がすべてに現れ、すべてを機能させている。
世界が法則として、自分に満ちている。
世界が秩序として、自分に広がっている。
世界でない自分なんて、どこにもいない。
「自分、自分」
というこの考えさえ、自然の理が在るから、可能なのだ。
人の本質は、世界そのものである。
その世界が、人の本質であり、それは他ならぬ、この自分の本質である。
この自分と『イーシュヴァラ(全体世界)』はただ一つ。
同じ真実から現れた、秩序であり法則であり、世界のすべて、そのものである」

*南インドのお寺の入り口には、
イベントの朝、奇麗な絵が描かれる。
こんな風に地面に直接書かれているのです。
そして、これは不思議なことに、いくつかの点をベースにして、後は自由に線をつけたしていくという書き方。
点で絵の枠をきめているのですね
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となりのインドのオッカサン。
この人も今日は朝、お家の玄関にいい絵を描いてきたんだろうな~
絵を描くのは、家庭を守る奥さまの仕事なのです。

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