自分の物の見方、
世界と自分へ対峙する姿勢
それがかわるだけで、
問題が“問題”でなくなる。
具体的にいえば、
出来事や人々という単なる現実が、自分の中で“問題化”して、発酵し、自分を悩ませることをやめてしまうのだ。
何かの拍子で湧きあがってくる負の感情も思いも、
「Welcome!」
といいきってしまうことで、
流れてゆく。
ちなみに、
これは私の勝手な方法ですが、
せっかく受け入れるからには
少々オーバーに、
大袈裟なくらいに受け入れようとすると、効果が高いようです。
例えば、心に嫉妬が生まれたとする。
それに気づいたら、
「おお、嫉妬きたね、よしよし。
では、これが“The 嫉妬”という、他の人がまねできない程の、嫉妬をしてやろう!
半端ない嫉妬っぷりを、
この世界でこれ以上の嫉妬なんかできないくらいの、
最高の嫉妬をみせてやるぅ~」
くらい、もうヤケクソになって心で叫ぶ。
すると、熱い嫉妬は妙におちついて、数秒後冷めてしまう。
思わず自分でも笑ってしまう。
そこまで心にゆとり、スペースが生まれる。
恐れや怒りについても同じこと。
「皆がヒクくらい、世界一の怒りを発揮してやる!
今までこんなに怒った奴なんていない、ってほどの怒りをなっ。
さあ来い、怒り!」
ここまで言うと、もう怒りを通り越して、気分がいい。
そして、頭をもたげていた怒りが、自分の中で力を失ってしまうのだ。
悲しみも寂しさも、同じように、調子よく受け入れてみる。
「奈落の底に届くくらい、落ち込んでやる。
這いあがれないくらい、深く深く悲しんでやろう。
涙なんかもいっぱいながして、周りはみんな貰い泣き。
それくらい、悲しもう。
最高の悲劇の主人公になるチャンス。
 ありがとう、悲しみ。
Come on!、悲しみ、ここにくればいい。」
恥ずかしさも、後悔も、憎しみも、孤独も、
今まで抵抗して避けようとしていた感情に、心を開いて正々堂々と向き合い、受け入れてしまう。
すると、
う~ん、不思議なことだ。
すべて、どうでもよくなっていくのだ。
本当に。
*ここ南インドでは、イベントの日には神聖な気が出入りする入口に
「ランゴーリ」という絵を書きます。
ちなみにこれはアスファルトに直接、細かく砕いたお米の粉を水に溶かして書いています。
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うぅーむ、芸術。
消すのがもったいないけど、ランゴーリの寿命は短い。 
儚く消えゆくものに妙な美しさを感じる大和魂より。。

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